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田無日記

映像編集者 1977年生まれ

以降、の小説

震災以降、なんとなくではあるけれど、小説をあまり読まなくなっていた。

それは、やはり現実が想像をこえるものだと痛感したから、ということもあるからだろう。実際のところ、あのような、津波がくるなどと夢にも思ってなかった、おのれの底の浅い現実認識を目の当たりにしたら、やはり創作などと思っていられないところもあった。

 

しかし、それでもなお、小説が消えてなくならないのには、やはり、確固たる理由がある。

小説は、現実を乗り越えるために、常に更新され続けなければ、ならないものだという認識が、どこかしらあるからだろう。 

常に、現実を凌駕すべく、小説を更新すべく、奮闘する小説家の姿は、僕には英雄におもえる。

 

いくら圧倒的な現実があっても、そして、その圧倒的な現実になんら太刀打ちが出来ないとしても、太刀打ちが出来なければ出来ないほど、それを乗り越えるには、小説という純粋培養な虚構が必要である気が、する。

 

現実の圧倒的なチカラを乗り越えるための、虚構のチカラ。

それが、小説や、あらゆる表現行為であって、そういった行為こそ、生きる行為とイコールでもあると感じる。

 

個々の人間が自然の脅威や、戦争に対して、物理的に出来る事は、本当に微々たるものでしかないと、諦念を持って生きざるを得ない状況で、小説を書くなどという行為が、本当にほとんど、沈黙し続けるみえない何かに訴え続けるような行為で、虚しくも、個人ができる最高の行為であるように思う。

 

そういった文脈において、村田沙耶香さんの小説は、なんか、虚飾を排した人間の有様を書いていて、震撼とした。