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田無日記

映像編集者 1977年生まれ

単なる説明なのではないだろうか

映像を何かの解説として使うことは、世の中にあってしかるべきではあろうけれど、解説のためにすべての映像がある、とされれば、それは窮屈至極ではないか。

映像を、なにかの興味へのとば口、入り口として使うほうが、はるかに人に有益で豊かな気が、自分はするのだけれど。

とかく、いまのテレビは、分かるか、分からないか、の二極化が甚だしく。分かりやすく作ることが、至上命題

興味をひくようなことよりも、分からなければ、意味がない。 

なにか、よく分からないけれど、おもしろい、興味をひかれる。という、方向性はない。

みんな、分からなければ、ダメなのだ。

多くの人が分かることが、重要らしい、、。

 

そんな映像、はたして楽しいのか、根本的な懐疑を覚えざるを得ない。

知らない事を、説明されるような映像で、説明されて、簡易に分かって、嬉しいということもあろうけれど。

それは、単なる説明、にすぎないのではないだろうか。

んー。