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田無日記

映像編集者 1977年生まれ

成長なき

個人差はあるかもしれないけれど、人間は、みな一様に衰えていく。

なもんで、昔というか、高度経済成長期には年功序列国民年金制度、社会保障などを考えて、衰えても、生活に困らないような仕組みを作ったのだろう、先見の明である。

そして、今の70代〜100代までは概ね、恩恵を受けているように思う。

しかし、今現在、高度経済成長を終え、全然、成長する兆しがないなかで、年功序列での給与があがることや、国民年金など各種、老後へのケアなどというものが、望めるべくもない世代において、ほんと、暗澹ある気分は、半端ない。

少数の大企業に入ることの叶った学業優秀な人々は、いまいちピンとこないだろうが、貧困男子女子、フリーターニート、凡人、わたしのような人間には、この先、暗澹とした気分しかない。でも、なんとなく、生活は出来ている、だから、いいのか?

しかし、この先、困って、どうしたらいいんだろうと思っても、身内ですら、自己責任でしょ、といいきる世界なのである。

救いのなさが半端ない。我が家でには、とくにそうで、僕が困っても、誰も何も言ってはくれないし、見向きもしない。自己責任。がんばって、ダメなら、死ねってなところなのだろう。死ねば、オッケーなのだ。

子供に対しても、「勉強しなかったのが悪かったのだ」と言い切って、切り捨てるしかないのか。勉強したら、出来たら、幸せなのか。それしか「幸せ」はないのか。

「勉強しなさい」「頑張りなさい」それだけが正解なのか。それでいいのか。

もう、頑張っても勉強しても、「なにも」ないんじゃないか。

おじいさんたちが、再び夢を見ている経済成長なんて、ないでしょ。

でも、その成長がやってこなかったら、きっと「努力がたりない」「頑張りが足りない」と自己責任にされるのだろう。

努力も勉強も、そういったすでに終わった時代状況での成功を目指すために、行われるとしたら、めちゃくちゃ不毛。子供は、終わったことではなく、これから始まることに対してこそ、人生の時間を使うべきなのに。教育機関が、なにもかも間違っているのではないかという気がする。

 

衰えていくこと、に対する不寛容と、「できるか、できないか」と「有能、無能」で人をわけ、ダメなのは自己責任と切り捨てられることに、みんなが恐れを抱き合う世の中、そのフラストレーションが、成功者を攻撃し引きずり落とすということで、ガス抜きとなる社会。

社会全体が成長とか成功にすがり続ける限り、個人は、子供は、不幸にしかならない気がする。