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田無日記

映像編集者 1977年生まれ

ヤクザと憲法

ヤクザの事務所にカメラをもって取材に入る、それはほとんど、フィクションのような話であるが、それをノンフィクションとして撮ったのだから、凄い。

東海テレビの映画シリーズは毎回、凄いわけですが、「ヤクザと憲法」はほんと凄い。

 

違法行為などで生計を立てているであろうと思われる集団を取材するリスクもさることながら、単純に怖いし。

 

それでも、みていくうちに、なによりも怖いのは暴対法という法律で、ヤクザを追い詰める、自分たちの社会側の態度ではないかと思う。

映画のなかで、取材カメラに一番、横柄で威圧的なのは、ヤクザ事務所に家宅捜索にきている人たちであるし、でっちあげのようなことでもすぐ逮捕起訴する体制側。

そりゃ、そもそもヤクザは悪いかもしれない、けれども、ヤクザとその家族、関係者を追い詰めるだけで、なにか解決するのだろうか。とにかく、そこが謎だ。銀行口座も作れない、保育園も入れない。部屋が借りられない。人権侵害なのではないか……。

「ヤクザやめるという選択はないんですか?」と監督が訊くのに答え、組長は「それでわしらどこにいけっちゅうねん」というようなことをいう。

そもそも行き場がなくてヤクザにならざるを得なかった人もいる。綺麗事や自己責任でヤクザになった人が悪いでは、到底片付けられるものではない現実はあると思う。片付けられると思う人は、現状認識から、目を背ける人だろう。

行き場なく、もしくは望んでかもしれない。それでもとにかく「悪い人」とひっくるめて、追い詰めて、国は彼らをどうしようというのか。暴対法は解決になりえているのか。疑念が湧く。

 

みているうちに、なぜか印象としてヤクザが弱者にみえてくるわけでもある。いいすぎかもしれないけれど、らい予防法で島や施設に長らく隔離された、らい病患者の人たちにも通じるような、人権侵害の状態があるのではなかろうか。

臭いものには蓋、市民社会からとにかく見えないようにしようという斥力が働いているような気がしてならない。でも、いくら追いやっても、彼らをこちら側に包摂しない限り、絶対に問題の根本は解決に向かわないのではないかと思うのだが。

まあ、それでも自分の近くにヤクザは困るな、という気分はあるわけで、その拒否したくなる気持ちと、どうやって自分は向き合うべきなのかということなんだと思う。